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愛おしき日常

2019年

不思議な出来事

大掃除と整理整頓がひと段落つき、録画したドラマを観ていた。
頭の中では無意識のうちに大掃除の振り返りをしていた。
-なんだか、死に向かって歩いてるみたいだな。
身辺整理をしどこかに旅立つイメージがふと湧いた。
…遺品整理かよ。
頭の中のツッコミが炸裂する。
たしかに生まれた以上、その先にあるのは死であるが…
終わりの始まり、なのか。

ああ、でも、モロッコ行くまでは人生終われない。
ロシアもまた行きたい。
四国も山陰も行きたい。
会いたい人だってたくさんいる。
それに経験してみたいこともまだまだいっぱいあるし…
暗い気持ちになって最期ばかり見つめてばかりいないで
今どうしたい?これから何したい?
ミライの楽しみをいっぱいつくって生きていこう。

引き続き録画したドラマを観る。
翌朝が遅いからと調子に乗って夜更かしをする。
ふと、なんとも言えない、何かを感じた。
「感じる」とは言えないくらい幽かなものだった。
ドラマが終わり、LINEを見ると、

地震がありました。宗谷地方北部など 震度 5弱
最新情報は以下で確認してください…

奇しくも何かを感じた時間と同じくらいだった。

いつ何が起こるかわからない。
危機は気配を消してすぐそこまで迫っているのかもしれない。
後悔のないように、身の回りも心も準備をしておこう。




終電2つ前の華金

「倒れた人がいます」
電車から降りホームを歩いていたら、男性の叫び声が聞こえてきた。
その瞬間、別の男性が電車の緊急ボタンを押す。
寒空の下、夜の静かなホームで控え目に鳴るサイレン。
もう一度男性が叫ぶと、車掌さんが走ってきた。
「どうしましたか?」「人が倒れました」

倒れたのは女性だった。気づいたときには他の人に支えられながら立ち上がって、電車から降ろされていた。
その場に居合わせたのだろう、男性4〜5人が心配そうに側にいる。
女性は駅のホームの鉄の柵のところまで行って、柵に掴まっていたが、また崩れてしまった。
仰向けになる女性に、意識はあるか、見えているか、大丈夫か、声をかける男性たち。
「すみません…」と小さい声で謝る女性、手で顔を覆う。
何かできないかと思い電車を降りた青年は友人に引き戻されていた。
駅員さんが現れ、状況を確認する。
状況を把握できていなかったのか、運転手さんも現れた。
電車のドアは全て開いている。
ドア付近の人、寒くないかな。

待ちかねたのか、電車から降りる2人組の女性。西の方のイントネーションが入ってる。
「人が倒れただけで電車が止まるんだね」
「東京だったら駅員に任せてすぐ発車しちゃうよね」
「カイロ渡そうかと思ったけど使っちゃったんだった」
「あのまま外にずっといたら寒いよね」
外の気温は冷蔵庫と同じだ。
倒れた人、スカートにタイツ、パンプスだったな。
ストールでも掛けてあげればよかったかな。
なんで気づけなかったんだろう。

救急車を呼んだらしい。寝静まった町、遠くからサイレンの音が聞こえる。
駅員さんはホームから降り、駅の前で待機している。

電車はやっと発車した。
改札を通った私は自転車を取りに行く。
ホームを眺めると、介抱している男性たちの姿が見える。
駅員さんの後ろを自転車で通り過ぎる。
駅に向かう救急車ともすれ違う。
そういえば、今朝も救急車を見かけたんだった。

自転車を漕ぐ。
足首の一部が外気に直接触れる。
家に着く頃には少ししばれていた。
あの女の人も寒かっただろうなぁ。
今ごろ毛布に包まれて救急車の中だろうか。
あたたかい家の中で思いを馳せた。




車窓と人生

夜の汽車。ボックスシートに座り、めくるめく変わる景色をぼんやりと眺めていた。
その光景は人との巡り合わせに見えて仕方がなかった。
来て、去って、を繰り返して、
人との縁ってどうなるもんかわからないものだな。

まだ11月だが、今年は人間関係が短期間でころころ変わった1年間だった。
一ヶ月単位で「主な登場人物」が入れ替わるかのように。
疎遠になった人も、
一生バイバイの人もいるだろうし、
また何かの折によく関わるようになる人もいるだろう。
はじめましての人も、
深く関わるようになった人もいるし、
急に疎遠になった人もいる。
一方でずーっと同じ人間関係でいる人も当然いる。
おもしろいもんだね。

Моя мечта - встретить много людей.
ロシア留学中の最終試験のスピーチの一文。
自分の興味や仕事、思考の傾向を振り返ると、人や出会いが人生の軸になっている。
何かに気付くために人と出会うんだと思う。
たとえば、人のいとおしさだとか。
きれいもきたないも両方出会うために。
割り切れない世の中に出会うために。
だから、どんなことになったとしても、時が経てば大概その出会いに感謝している。
と言ってもまだそこまで人間の器はできていないのだが苦笑

今年はまだ1ヶ月以上もある。年度で言えばあと4ヶ月も。
また、全然違う景色が見えるんだろうな。
次はなにが起こるのかな。

そんな刹那的で不確かな世界を生きている。




音楽はアルバム

と言ってもCDのアルバムではなくて。
音楽を聴いていたら昔を思い出しませんか?
かつて毎日のように聴いていたお気に入りの曲や練習していた合唱曲を、あるとき思い出したかのように聴くと
「あ、これは今の曲じゃない」
と感じることがある。
そうして「あの頃をもう過去のこととして整理できたんだな」って気づくのです。
ちょっと寂しさをも覚えますが。
そんなとき、自分は今を生きる人なのだと再認識する。

私は、過去に戻りたいと思ったことが一度もない。もちろん些細な後悔はあるが。
過去と言うと大変だったこと(試験とか些細なものも含む)を思い出し、「またあれをやるのは嫌だなぁ」という気持ちが先走る。
もちろん楽しかったこともあるが、今は今で楽しいから、過去に戻ってまでは、とは思わない。
「別れのときが切ないと思えるほど今思い出をいっぱい作ろうと頑張れる」
高校のとき、こんなこと言ってる人もいたなぁ…

さて、今を全力で生きるために、明日を描くために、今晩はもう眠りましょう。




刹那的で、儚くて

夜の駅のホームで電車を待っていた。
閑静な住宅街にある駅は昼間に比べると人は少ない。
暗い中にポッと明かりが灯るホームは、それだけでほっとする。

特急が通過するアナウンスが流れる。
遠くから電車がやってくる音、だんだん大きくなる。
函館から来た特急だ。
わかった瞬間サーッと通り過ぎていった。

直後、鳥肌が立った。
寒かった訳ではない。
しみじみと、趣を感じた。
特急列車通過のあの一瞬になぜ感動を覚えたのか。
一瞬で現れ一瞬で消える、その儚さ。
桜や花火、紅葉も。
わびさび、とも言えるだろうか。

元々鉄道好きだったが、また別の魅力を見つけてしまった。




1時間

建物を出る。
重い黒い鞄と小さいクリーム色のカバンを持って、コツコツと足音を立てて大股で歩く。
薄暗い夕暮れのまち。坂を下る。焼肉屋さん、今日はお休みだ。

駅。ピンポーンの音とともに地下鉄到着のアナウンス。反対方向だ、よかった。
ピッと定期を改札機にかざす。
つま先だけで階段を上がる。反対方向の電車がホームにすべりこむ。
電光掲示板。自分が乗る地下鉄ももうすぐ着くようだ。
ホームドアの前で電車を待つ。
扉が開く。ガラガラだからついつい座っちゃう。
いじるスマホ。疲れたら目を閉じる。
降りる頃には車内は人でいっぱい。
到着と同時に人の間をかき分け、降りる人波に乗り遅れないように電車から脱出。
前を歩く二人組に危険なものを感じ、距離を置く(失礼)。
階段を昇り、定期を確実に改札機に読み取らせる。

甘い香り。クッキー屋さん。セレクトショップ。ジェラート屋さん。カフェ。
現れた階段とエスカレーター。人が少ないから階段に吸い込まれていく。
のぼってのぼって視界が開ける。
待ち合わせをする人々。屯する学生。
まっすぐひたすら歩く。
電光掲示板、時刻をチェック。
さっきとは別の定期で改札を通過。
ホームを見つけ、また階段。人が少ない乗車口を探して並ぶ。
タイミングを見て、時間の連絡。
汽車が来た。今度は座れず立つことに。
またまたスマホ。猫背に注意。
駅ごとに乗り降りする人々。
間もなく到着のアナウンス。スマホはカバンに。人の間を通って乗車口へ。ホームで待つ学生が通り過ぎていく。
扉オープンと同時に汽車から降りる。
スーツ、私服、男性、女性、降りる人はそれなりに多い。
階段を下りて改札へ。

駅の出入口付近でカーディガンとコートを羽織り自転車の鍵を出す。
駐輪場。カバン2つを詰めたらかごはいっぱい。ふと目に入った月がきれい。
夜風に吹かれぼんやりと自転車をこぐ。
この時期でも夜はこの格好をしないと肌寒い。
頭の中でいろんな言葉がぐるぐる。
点いたり消えたりのあの街灯。今日は点いてる。
住宅街。一瞬バーベキューの香り。左ペダル、昨日から違和感がある。
家庭菜園をする家。大きな松の木がある家。通り過ぎて。
駐車場の車にぶつからないように自転車を通し駐輪。スタンドがしゃん。

今日もちゃんと帰ってこれました。




その命は誰のもの?

「北のサバンナ」を訪れ、その壮大さに圧倒された。
木道や鉄路など、許された場所のみ立ち入ることができるが、侵すことは畏れ多くてできない。
サバンナは生命の宝庫であり、環境を保つ役割もある。
それだけではない。その景色や空気は癒しをも与える。
なんてありがたい存在なのだろう。

そういえば、食べ物。
動植物など他の生命を取り入れることで私たちは生きている。
いただいた動植物の分も私たちは生きている。
また、他者との関わりで人間は社会的存在になる。
育ててくれた家族や親類、
何らかの活動を共にする仲間や同僚、
何かを教えてくれる先生や師匠、
一緒にいてくれる友人、
一言で定義できない関係性の人でさえ
人間性をつくっている。
一方で自身も他者を社会的存在たらしめる要素である。
さらに、親や出会うことのない祖先のおかげで自分が今ここに存在できている。
–今の自分があるのは皆さんのおかげです。

余裕がなくなっていっぱいいっぱいになって周りが見えなくなって
ふっとしたときに棄てたくなるかもしれない。
人生をどうするかの決定権は自身にある。
でも、これだけは忘れずにいたい。

私の命は私だけのものではない
あなたの命もあなただけのものではない
その人の命もその人だけのものではない




どーでもいいカミングアウト

実は私……
一般的なランドセルを使ったことがありません
私の通っていた小学校では、ランドセルの人がほとんどいませんでした。(今はわかりませんが…)
他にもランドセルじゃなかった方っていませんか?




時代は変わる

平成の最後ですが、エモくなってばかりもいられないのかなと思う今日この頃です。
改元は歴史的な出来事ですし、歴史のひと区切りでもあるので、振り返ることは大事だと思います。
ですが、平成が終わっても時は流れ続けますし、その先を大切にするべきなのかなと思います。
未来に繋げたいですね。