コンテンツにスキップする

愛おしき日常

2020年

未来予想図

今年入社の新人とお昼を食べていたときのこと。

「あー、あの人毎日動画配信してるから観ちゃうんだよねー」
「あのお笑いコンビ、おもしろいのにテレビではつまらない方のネタをやってた」

お笑い芸人の話だろうか。
どうもネット配信のテレビの話をしているようだ。
テレビが流れている目の前で繰り広げられるその会話は、マスメディアに触れなくなった世代の典型を見ている気分だった。

(マスメディアのターゲットが高齢化するのもわかるなぁ)

ネット上で好きなものだけを見る。
ネットというプラットホームはあるが、その中にはこれでもかというくらい細分化されたものが星の数だけある。

今の若者はなんなんだと言われても、こんな感じだから一言では言えないよなぁ…

よく言われる〇〇世代で流行ったものみたいな世代共通のものはこの先なくなるんじゃないか。

40代以降くらいまではきっとあると思う。
30代〜20代後半はきっとその狭間で、20代前半以下はきっと世代では括れない。

だって、ゆとり世代・さとり世代って年代で言えば定義は曖昧で幅広いし、ゆとりさとりの違いすら曖昧。

レトロ好き、カメラ好き、アニメはこれ派、ソーシャル的なのに興味ある派、旅好き、カフェ好き、クリエイティブなことしたい派、本質的な話をしたい派、世の中に対する考え方、ゲーム好き…
ほかにもあるし、上記のものだってもっと細分化される。

学校は同じ世代や地域で固められてきた(通信、大学、専門学校などを除く)。
ただ、昨今の状況により、インターネットを活用したコミュニケーションがより身近になり、幅広い世代に浸透している。
また、画面上で初対面ということも珍しくなくなっている。

世代が同じでも、物理的距離が近くでも、血縁関係にあっても、価値観が遠ければその人たちと繋がることはない。繋がったとしてもすぐに離れていくだろう。

そういった意味で「心で人と繋がる時代」になるのではないか。
いや、すでにそういう時代だし、私もそのような傾向にあるが、より促進されると思う。

その先にあるのはもしかしたら「分断」かもしれないし「パラレルワールド」かもしれない。




お前はどうして世界をこんなにした?〜その指先は自分自身に向けられていた〜

次の時代に対応すべく方法を模索する人
今できることに全力で取り組む人
あれが正しい、こうすべき、と主張する人

みんなすごいなって思う。
でも、そんな人たちを見ていると、
自分が揺さぶられる。
何もできていない自分に嫌気が差す。

元々昨年末あたりから籠りがちになっていて、意識は自分に向かいがちだった。
こんなときだからこそできることを、と思って取り組んでいることも全て自分のこと。

幸いなことに直近で仕事やお金に困ることはない。
だから本来は社会のために誰かのために何か行動起こせるだろうしそうすべきなんだろうけど、自分がパンクしそう。
仕事もそうだ。今だからこそのビジネスチャンスもあるのかもしれないけど、自分レベルで何ができるのか。実際何もできていない。
スピード感が求められるけど、気付いたときにはすでに時代遅れになっている気がする。

「常識が常識でなくなる」
中学生に向けて話したときに伝えた言葉だが、今更思い出した。(ブーメランってこのことだ)
あのときの自分は本当にその意味を理解して話せていただろうか。
あの話を聞いていた中学生はこの状況をどのように受け止めているだろうか。

「あぁ、みんな変わっていってるな、世の中も変わるな。
自分は変化できてる自信ないな。周りの人たちからの刺激でかろうじて追いついているって感じかな。
でも、その変化に対応した先に何かトラップが仕掛けられているんじゃないかって心配だな」
そんなことが頭の中でぐるぐる。

あっ、

そろそろzoomをPCで使う練習しようかしら…(スマホで使用していたけど、頻度が高くなったせいか肩凝りと頭痛が起こり始めた)




問題点は何か

※多分浮世離れしたことを書きます。不快な思いをさせてしまったらごめんなさい。

コロナに対してもやもやする。
そもそもの問題点って何なんだろう。

体調を崩すことが悪いのか
人口削減のために作られたウイルス(なんて説もあるが真偽は不明)だから悪いのか
初期段階で封じ込めることができなかったから悪いのか
多くの人に感染しているから悪いのか
死ぬこともあるウイルスだから悪いのか
正体不明だから悪いのか
混乱を招くから悪いのか
日常生活が送れなくなるから悪いのか
経済が停滞するから悪いのか

(改めて列挙すると「地震の何が悪いのー?」って言うくらい阿呆なこと言ってる気がしてきた…)

感染したときの苦しみもあるし、人が亡くなってつらい思いをする人もいるし、差別やいじめの原因にもなりつつあるし、良いこととは言えないと思う。

今のところ自分も周りも元気だからこんなこと言ってられるのかもしれない。
自分が感染したり、身近な人が亡くなったり、勤め先が倒産したりしたら、コロナを恨むと思う。
(改めて自分はエゴの塊だと思う)

デマが拡散されたり買い占めが起こったりもしている。
技術が発達した分、情報発信も入手も手軽にスピーディーにできるようになった。
そんな世の中で起こった騒ぎだからこそ情報リテラシーを問われている。

リアルやネットやメディアに目を向ければ、

政府の判断の見解を述べる人
親子にやさしい労働環境とかリモートやフレックスや新しい働き方が浸透するきっかけになると言う人
自分ができることを考える人
共働きやシングルの家庭を心配する人
休みになった子どもたちに対してアクションを起こす人

いろんな反応・対応が見られた。
純粋に興味深いと思う。

さらに、

倒産の危機に直面する人
最前線にいる医療の現場の人、介護現場の人、保育現場の人
エネルギー、物流、交通等のインフラ維持に携わる人
お店を守る小売店舗の人
休校要請の対応に追われる先生方
実はビジネスチャンスが来ている人
イベントや行事の中止対応に追われる人

否応無くいろんな状況に置かれた人々もいる。

すっごく皮肉だけど、これを機に人間進化しちゃったりするんじゃないか。
もしうまく乗り越えられたなら精神も肉体もきっと今までとは違うものになっている。

試されているとか人類の選別が始まってるとかそういうことじゃなくて。
ただ、この先の未来、何かきっと変わるんだろうなって。

この状況に不安が全くない訳ではない。
私も多分情報に踊らされているうちのひとり。
でも不思議だなぁ。今までと世界が違って見える…




モノたちへのレクイエム

職場で引越しを行なった。
ビル内でフロアを移動することになったためだ。

それに伴い、イスやデスクなどの多くのオフィス用品も新しくすることになった。
不要になったものは廃棄することに。(部品の紛失や劣化により、ほとんど買い取ってもらえないそう)
イス、デスク、ロッカー、本棚…
社員総出で空き部屋にどんどん運ばれた。

片付けの折にその部屋に入ったのだが、そこは家具の墓場のようだった。
廃墟を見たときの寂しいようなぞっとするような…そんな気持ちになった。

どれも年季が入っていた。
大物家具になればなるほど。
その分歴史と想いが詰まっていて、
部屋の中で満ち溢れているそれらをもろに浴びせられたような気がした。

快適に仕事を進めるために必要な道具。
波に乗っているときも困難なときも会社を支えてきてくれた。

使おうと思えばまだ使えるものだったが、今回手放すことになった。
心機一転することもときには必要だし、物理的に環境を変えるべきタイミングだったんだと思う。

でも、手放すモノたちへの感謝の気持ちを込めることを忘れずにいたいです。